長嶋一茂の野球の才能は?成績と評価を父親の長嶋茂雄と比較してみた!

現在、タレント業やスポーツコメンテーターとして活躍中の長嶋一茂さん。

若い頃は野球選手として「ミスタープロ野球」である父親の長嶋茂雄さんの背中を追いかけていた時代もありました。

プロ野球選手としては結果が残せませんでしたが、当時を知る関係者からは「もしも…」という声が後を絶ちません。

その野球の才能は果たして長嶋茂雄さんを超えていたのでしょうか?

本記事では、両者の成績や関係者の評価を比較し、その才能に迫ります。

目次

長嶋一茂の野球の才能

出典:Number

長嶋一茂さんの野球の才能はどのようなものだったのでしょうか。

アマチュア時代とプロ野球時代で見ていきましょう。

大学時代(立教大学)の成績

長嶋一茂の大学時代の成績は以下の通りです。

  • 通算打率:.225
  • 通算本塁打:11本
  • 1987年春季(4年時):打率.340、ベストナイン(三塁手)受賞
  • 1987年秋季(4年時):4本塁打、16打点(リーグ1位)、ベストナイン2度目受賞

大学時代の成績を見ると、アマチュア選手の中では非凡な才能を持っていたようです。

特に4年時には目覚ましい活躍を見せ、プロからの期待も高まりました。

プロ野球での成績(1988年-1996年)

プロ9年間の通算成績は以下の通りです。

  • 試合数:384試合
  • 打率:.210
  • 本塁打:18本
  • 打点:82打点

大学時代の期待に反し、プロでは思うような結果を残せませんでした。

長嶋茂雄の野球の才能

出典:デイリースポーツ

父親である長嶋茂雄さんはどのような成績を残したのでしょうか。

こちらもアマチュア時代とプロ野球の両方をみていきしょう。

大学時代(立教大学)の成績

長嶋茂雄の大学時代の成績は以下の通りです。

  • 通算打率:.286
  • 本塁打:8本(当時のリーグ新記録)
  • 打点:39打点
  • 盗塁:22盗塁
  • 1955年秋~1957年秋の通算5回、ベストナイン(三塁手)
  • 1956年春、打率.435で首位打者
  • 1957年秋、打点16で打点王、本塁打4で強打者として注目される。

父親の長嶋茂雄さんもアマチュア時代から抜きんでた成績を残しているようです。

また、杉浦忠さん・本屋敷錦吾さんと”立教三羽烏”と呼ばれ、大学野球界を象徴する存在でもありました。

プロ野球での成績(1958年-1974年)

長嶋茂雄の17年間の通算成績は以下の通りです:

  • 試合数:2,186試合
  • 打率:.305
  • 本塁打:444本
  • 打点:1,522打点
  • MVP:5回(1961年、1963年、1966年、1968年、1971年)
  • 首位打者:6回(1959年、1960年、1961年、1963年、1966年、1971年)
  • 本塁打王:2回(1958年、1961年)
  • 打点王:5回(1958年、1963年、1968年、1969年、1970年)
  • 新人王:1958年

長嶋茂雄は数々のタイトルを獲得し、日本プロ野球史上最高クラスの実績を残しています。

二人の才能を比較

長嶋一茂さんと長嶋茂雄さんの成績を数字で確認したところで、2人を比較してみましょう。

まとめてみると下記の通りになりました。

成績面での比較

通算成績の数字だけでみると、プロ年数の長い長嶋茂雄さんが圧倒的に上回っています。

また、長嶋茂雄さんはプロ野球に入団した1958年のシーズンから打点王や本塁打王に輝き、華々しい活躍をしています。

打率、本塁打数、打点のいずれにおいても、長嶋一茂さんの成績を大きく上回り、野球選手として実力があるのは父親の長嶋茂雄さんではないかと思われます。

プロ野球関係者の評価

長嶋一茂さんに関しては、以下のような評価があります。

  • 落合博満:「もうちょっと練習やっとけばなぁ。絶対親父を超えられたと思うよ。」
  • 野村克也:「いいものを持っている」
  • 伊勢孝夫(元ヤクルト打撃コーチ):「パワーがあって、足だってそんなに遅くないし、肩だって強いし、フリーバッティングを見ていたら、これでどうしてリーグ戦で打てないのかっていう選手でしたよねぇ」

多くの関係者が長嶋一茂の潜在能力の高さを認めていますが、それを十分に発揮できなかったことを惜しむ声が多いです。

なぜ長嶋一茂は父を超えられなかったのか

出典:Nuber

長嶋一茂さんが父・長嶋茂雄さんを超えられなかった理由として、以下のような点が指摘されています。

  1. メンタル面での弱さ:試合になるとボールを怖がる傾向があった
  2. 練習態度の問題:才能はあったが、十分な練習を積まなかった
  3. 父親との比較による重圧:常に父親と比較されることによるプレッシャー

「ミスターの息子」として意識していたせいで、周りの人たちが上手く指導が行えなかったことがメンタルの弱さや練習態度の悪さの原因に繋がっているように感じられます。

しかし、常に父親である長嶋茂雄さんと比較されることは、かなりのプレッシャーになっていたことでしょう。

テレビ番組内で長嶋一茂さんと対談した落合博満さんが自分の息子と重ねながら、常に父親の長嶋茂雄さんと比較される環境で野球をやっていた長嶋一茂さんのことを褒めていました。

一茂がプロ野球選手になったことは褒めたい―という落合氏。「自分が息子を持って、初めてわかった。普通は嫌がるから。」

出典:テックインサイト

まとめ

長嶋一茂さんは高い潜在能力を持ちながらも、それを十分に発揮できずにプロ野球選手としてのキャリアを終えました。

一方、父・長嶋茂雄さんは日本野球界に燦然と輝く伝説的な選手でした。

結論として、野球の実力という点では長嶋茂雄さんが息子・一茂さんを大きく上回っていたと言えるでしょう。

しかし、長嶋一茂さんの持っていた可能性の高さを考えると、「もし」という思いを多くの野球ファンに抱かせる存在だったことも事実です。

長嶋一茂さんは現在、タレントとして活躍していますが、野球選手としての経験や父親から受け継いだDNAは、彼の人生に大きな影響を与え続けているのかもしれません。

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